2011年6月 5日 (日)

心色

雑多な街も、田園風景も、オフィス街も、観たままの形状や色彩が屈折する。
迷子になった光は足元の階段で歪んだ虹の自己主張をする。
空に虹を探しても、語り掛けてくれる風景が、何も告げず口を閉ざしてしまう。
ビルの隙間から微かに当たる陽射しでさえ、今は刺々しい。
突き上げてくる感情は蓋をしてもすぐまた顔を覗かせる。
一様に合唱される呪文に一吹きしたなら、装飾音が駆け巡り快哉である。
彫刻のオブジェは賛美歌を与え、絵画はケント紙をわたしに差し出す。
わたしは拱手し、暫くして雲際へ身体を隔離する。

わたしは風解するまで、少しの間糊塗し、荏苒と毎日を生き長らえよう…。

2010年6月27日 (日)

仮死

隣家の庭にひっそりと咲く紫陽花は、わたしをどこかへと導こうと囁いている。
水滴が落ちる度に確実にわたしの目を奪い、連れ去るのだ。
向日葵を見ないでいいよと、俯きながら静かに頷いている様でとてもおかしい。
鮮やかな紫は、色褪せないまま時が過ぎれば消えてゆくのだ。

清冽の中で絶え間なく聴こえる悲曲。
それは軈て萌芽だったのであろうが、過日でしかない。
跋渉など未来永劫無縁なのであろう。

わたしは臍下に痛みを感じても、エクスタシーが存在すればそれでいいのだ。
痼疾が地中に埋もれる事は、恐らくないのだから。
勾配が急で宙に眼球を浮かしたら、踵も何も捉えられなかった。

夜が明けて、薄っすら明るくなった空に悲しみと絶望があっても、もう少ししたら夕暮れと月を見られるのだから、わたしはきっと幸せなのだろう…。






2010年5月30日 (日)

颯颯

耳を傾けたなら、ダイヤモンドが降ってくる。
研磨していないダイヤモンドはただの石。
オニキスだって見逃してしまうだろう。

思い込みの果てに倒れこみ、ランナーはドリンクを取り損ない、節々は腐り、わたしは腕組みをする。
不器用な芽は摘んでしまおう。
持ち続ける必要が無いものばかりでは、段ボールの蓋が閉まらない。

日ならずして、夭折するのもよかろう。
泡沫な生き様も、いいではないか。
激浪に飛び込むのも、また面白い。

その前に、少しだけ、もう少しだけ、快翔してみよう…

2010年5月25日 (火)

剔抉

川の水は透明だけど、風が悪さをすると白濁する。
何時しかまた透明になるのは何故だろうか。
陸橋を渡る時、目陰しながらそんな事を考えたりする。
何かを気付かせる事は、善か悪かではなく、損得で決めているのだろうか。
わたしは無知だったのだろう。
反駁の先に見えるものは嚇怒だけでは無い筈だ。
阿諛が蔓延る地帯を塗潰して北叟笑むのも悪くないであろう。
青褪めた唇は陶器のように硬く、紅すら受け付けない。
わたしはわたしを誘掖してみよう。そして活眼を拵えよう。

グレーの戦士達を蹴散らして眩しい陽射しから身を守るかの様に鉄柱に潜む者が如く…

2009年5月25日 (月)

忖度

時折目を閉じて見えるものはラスターの様だ。突風に煽る在りし日のわたし。

軽く咀嚼しても、何も生まれないであろう。鷲摑みにして沢山頬張ってみても、素材が持っている真実の味が判らない。又、程遠いだろう。何故か。鷲掴みにしたものが大旨虚偽だったからであろう。わたしは憶えている。偽りを公にし、理路整然と語る事が必要だ。こうべを垂れて謝る人達に敢えて追い討ちをかける。わたしが極稀に反論することを示すのがよいであろう。わたしの心は滞空で晴れる。不必要な我慢や忍耐を時々断ち切り、大事な事だと実感しようではないか。
怖気づくのは、馬鹿馬鹿しい。
わたしが弱者でも、屈することはしたくはない。
満面の笑みを浮かべていても、俯いた時のわたしの役目は、演じる事で繋がっていくのだろう。

フルになる前にコップを少しだけ傾けて、溢してしまおう。
そうすれば、急ブレーキが有効であろう。
小細工はハッキリと浮き彫りになる。

今少し、気付かないわたしで、流れていこう…

2009年4月29日 (水)

豪宕

ベランダから西日が射すと、ゆっくりと、とてもゆっくりとした時間がやってきて、安堵感に包まれる。暮靄がかったらカーテンを閉めればよい。
わたしはいつ頃から安堵感を失っていたのだろう。
そして、いつから旦夕で追われていたのだろう。
剔抉は虚しいから、恬として明日へと動き出そう。
誰しも蜉蝣なのだから。

右耳には虚勢の騒めきがあり、左耳には穿違えた誇示が胡坐をかいている。
気配を感じて異化する術はわたしの得意分野だ。地団駄を踏む様は至極滑稽だ。
神経細胞を酷使したら、その何倍もの時間をかけて、クリアにしよう。
沈淪の集いにセオリーは無用だ。

今は透明でいることにしよう、無難である事も時に必要だろう…

2009年4月21日 (火)

永続

ほどろに散らかった要諦を阻喪せず、塒わたし次第の協奏曲。
メトロノームで刻む悲喜の抑揚。
待ち伏せは星が落下するかの如く速く、取り巻く固執はわたしの息を吹き飛ばす。
盆栽のカタチを整える間も無く枝は好き好きに伸び散っていく。
封印したい悲しい二次元はわたしの腕の中にあるのだろうか。
それとも記憶の中に閉じ込められたのだろうか。
いや、わたしのココロの中には四次元が生き続けるのだろう。


源泉をわたしにして生きよう、弔おう。
浮腫んだ手に滴り落ちる涙は、わたしの息を詰らせる。
あっという間だ。あっという間に朽ちて花咲く。
各臘に違和感を感じなかっただろうか。

待たなくてもいいんだよ。
稟性をナゾって、衒っても、不意に暗号で呼び出すのだから。

その時が来るまで、足跡を残していこう・・・

2009年3月 3日 (火)

構築

何かを失った時、わたしがわたしである事を再確認する。
自分に知恵が無かった時、落胆をもって、そこはかとなくグルグル廻ってみる。

昼間は情意に捷径を背負って生き永らえ、夜は眠りにつくまでのほんの少しの間、ノクターンを聴こうではないか。
目が覚めたなら、コーヒーにベイリーズを少し入れて一口飲み、時間を止めて感情をなくしてもよいだろう。
満月は一時しか輝けないし、雪夜はいづれ消えてなくなるのだから。
わたしは思う。
与えられたシナリオに手を加え、継ぎ接ぎする事がとても大変な作業だと思いすぎていたわたしだから、途切れるんだと。
落ち着ける場所など今知る限り無く、余所見しているわたしのすべてを蔽い尽くすまで、あとどのくらいだろう。

想像力は勢力を強め、オカシイくらい貧弱だ。
わたしの想像力はいつでも弱気で尻込みする。

心中の覆刻は一頁ずつで許してもらおう・・・

2008年12月21日 (日)

蒼惶

カラダが、アタマが波に呑まれる。
騒がしいアタマに整理がつかない、言葉が出ない。
伝染する波長は止まることがない。
その中で繰り広げられる、千慮と遁走。
慌しい自身への褒貶で誤魔化す等式。

でも、きっと、取るに足りない些細な事なのだろう。
旋回して陸地に降り立つ、その時間はわたしにとって無に等しいのだろう。
わたしは思う。
もっと遠くからわたしを見なければと。
今は近すぎる。だからわたしが判らない、とも。

今年もあと数日で終わる。
わたしはこの数日で確実に積み上げられる事を決めよう。
障蔽を、ほんの少し崩して、来年のわたしに繫げてみよう…。

2008年10月26日 (日)

相対

黄緑色の部屋の中では、絶対的にわたしが耀く。
両手から溢れ出しそうなネットからの情報。
絶対的なわたしから、そうでなくなるファクターだ。
誰も知らない、わたしだけの陸の孤島は架空でしかないのだろう。

立ち位置の確認をしたら、安易な比較はしないでいよう。
下萌ゆまでは、雌伏するに徹しよう、それがよいだろう。
それまでに出来る事は、自彊と四顧。
享有は時々守られず滂沱し、モラルは迷夢を彷徨い方正は洞だ。
川幅は日々ミクロン単位で削られるが、気付く事は敵だろう。

ベランダから見える、隣家の庭に聳え立つ大きな柿の木々。
柿の実たちは、今か今かと熟すのを俟っている。
大きくて鮮やかなオレンジ色の、実。
緑の中に点在する柿の実たちは、臆することなく、今年も存在感を放っている。
孟秋その木に生る限り、柿の実たちは絶対的なのだ。

わたしはそんな風景をしっかり服膺しておこう…

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